わたしは頬骨が出ていることが中学生の頃からコンプレックスで、28歳のときに頬骨切りの手術を受けました。
わたしが選んだのはアーチインフラクチャーという、頬骨の前側も後ろ側も切って、再度骨をチタンで留める手術です。5件くらいカウンセリングを受けて、大学病院の形成外科の現役でもあるという医師を選びました。人柄がよかったのが決め手でした。
朝の11時くらいから手術が始まって、全て終わって病院を出たのは22時頃でした。手術中の記憶はありませんが、手術が終わって麻酔が醒めかけたとき、「痛い。痛い。痛い。。!」って叫んでいたことを薄っすら覚えています。
完全に麻酔が醒めた後は、激痛でした。それからとにかく寒くて寒くて、全身ガタガタ震えていました。そのときは激痛と寒さで本当に死ぬんじゃないかと思ったくらいです。
術後は小さな個室で6時間くらい休ませてもらえましたが、看護師さんに起こされてトイレまで歩き、予約していた徒歩5分のホテルへ向かいました。ホテルまでは看護師さんが付き添ってくれましたが、まだ麻酔が抜けきらなくて足元はフワフワでした。
全身麻酔手術の6時間後には歩いて帰るなんて、ちょっと考えられません…。もしいま手術を受けるなら、絶対入院できるところで手術します。
顔には圧迫のため包帯がぐるぐる巻きで、その上からバンテージをしていました。ドレーン類はありません。顔はパンパンに腫れて目も糸のようでしたが、一時的なものだとわかっていたので不安はありませんでした。出血もとくに無かったです。
それよりも激痛で何も考えられなかったです。ホテルに帰ってすぐに、もらった坐薬を入れました。それでもその日の夜は激痛で全く眠れなかったです。
1週間はただ痛くてベッドに横になっていました。手術後3日目に診察があったのですが、それよりも前に坐薬を使い切ってしまい、看護師さんがホテルまで坐薬を持ってきてくれました。
口は指1本も開かないので、事前に買っておいたウィダーインゼリーやプリンを飲んでいました。手術後1週間までは本当に痛くてそれ以外は何も考えられなかったです。
1週間たち、抜糸のため診察に行きました。このときようやく腫れが引いているのがわかり、「あんなに出ていた頬骨がない!」と、コンプレックスから解放されて世界が開けるような喜びがありました。
この頃から左右差(右の方が出ている)がありましたが、腫れの引き方くらい左右差があるだろうと思い、とくに気にしていませんでした。
抜糸後は、自宅へ帰りました。それから毎日、腫れがひくのを楽しみに自分の顔を写真で撮っていました。この頃にはもう、カップラーメンやスープ類を食べれていました。
この頃くらいから、顔を触ってみるともうしっかり骨の部分がわかるようになりました。そして左右差がまだあるのに気づき、左右差がなおらないのでは?と不安を持ち始めました。
それでも、もうすこし腫れがひけば気にならなくなるかも…と希望を持っていました。
また、1ヶ月くらいまでは鎮痛剤を使うレベルで痛みが続きました。半年間で違和感程度になり、1年たってやっと“痛みのことは全く気にならない”というレベルになりました。
結果、半年たっても左右差は変わりませんでした。
左は頬骨は完全になくなり平らになりました。ですが右は手術前に比べれば平らになったものの、膨らみが残っていました。それでも他人は人の顔にそこまで興味がないのか、「言われければわからないよ」という反応でした。
自分で見ると明らかに左右差があり、写真に写るとそれが顕著にわかりました。手術をしたクリニックに再診でみてもらうと、結局医師も左右差を認め、再手術を受けることになりました。